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高齢者の安全な自動車運転継続のために

認知症高齢ドライバーの事例

認知症高齢ドライバーの事例(調査C)

運転中止のため「車とのお別れ会」をひらいたAさん(80歳)

山間部で農家を営んでいたAさんにとって、車は生活に欠かせないものでした。

アルツハイマー病と診断され、医師には「そろそろ運転をやめてはどうですか」と言われていましたが、買い物や通院に出かけるときはAさんの妻が必ず助手席に乗るようにして、これまで通り運転していました。

しばらくして妻は、Aさんの運転速度が遅くなってきたこと、駐車が下手になったこと、行き先を間違えることがあるなどの変化に気がつきました。近いうちに事故を起こすのではないかと心配しているうちにAさんの誕生日が近づき、免許更新手続きのハガキが届きました。これを機会に運転をやめてはどうだろうかと家族で話し合い、長男が運転をやめるよう説得をしました。Aさんは、若いころから運転に自信があったものの、最近は思うようにできないという自覚もあり、妻や長男に対して怒ったり落ち込んだりした様子で、気持ちの整理がつかないようでした。

Aさんの孫は、農作業が忙しい両親に代わって、Aさんが車で送り迎えをしてくれた時のことを思い出しました。そしてAさんへの感謝と慰労の気持をこめて、Aさんの「誕生会」と「車とのお別れ会」を思いつきました。近所の人々にお別れ会のことを伝えたところ、最近のAさんの運転の様子には不安を感じていたけれど、口出しできずにいたと言う人が多くいました。そして、「運転を中止するとはたいへんな決断で、さすがはAさんだ」「Aさんにはこれまでいろいろとお世話になった」とわざわざ言いに来てくれる人もいました。

当日は、Aさんの軽トラックに飾り付けをし、みんなで車の前に並んで写真を撮りました。Aさんにとって、家族や近所の人たちが自分を称え、これまでの労をねぎらってくれたのはうれしいことだったらしく、少し気持ちが落ち着いたようにみえました。そしてお別れ会以降、Aさんが出かける必要のあるときは、家族の誰かが送り迎えをするようにして、不便を感じさせないよう協力しました。

危険な瞬間のイメージ

事故を起こし、運転中止に至ったBさん(70歳)

危険な瞬間のイメージBさんは妻と二人暮らしでした。県外に住む長女家族が1年ぶりに帰省した際、孫の顔が分かっているのに名前が出てこないなど、言葉が出にくい場面が多いことに気付きました。また、大切にしていた車のあちらこちらに、こすったりぶつけたりした跡がいくつもあることに驚きました。病院を受診したところピック病との診断を受け、医師に「事故を起こす可能性が高いので、運転はやめるべきだ」と宣告されました。しかし、Bさんは、運転は自分の務めだと思っており、危険であることの自覚もなかったため、運転中止に納得しませんでした。医師の前では何も言いませんでしたが、家族会議で長女が運転をやめるようにと言ったことに対して怒り、長女やその夫を非難しました。

妻は、Bさんが病気になってしまったことをかわいそうに感じていました。そして、もし運転中になにかあったとしても、二人一緒ならばどうなってもよいと覚悟を決めました。その日から、前の車に接近しすぎたり、赤信号なのに速度を落としていないと感じたりする時には声をかける、次はどこで曲がるのかを早めに指示するなどの対処をするようにしました。

ある日、普段通い慣れた道路が工事中で、う回路を走っていた時、Bさんは突然パニック状態になり、急にUターンして対向車と衝突してしまいました。幸い、双方とも大事には至りませんでしたが、警察官や事故の相手に対してうまく言葉が出ず、自分は悪くないと強く言い張る夫の姿をみて、妻は運転を続けさせていたことを後悔しました。覚悟はしていたはずでしたが、実際に感じた恐ろしさは想像以上で、大事故になれば子どもや孫たちにも迷惑がかかることを改めて認識しました。

車は廃車にしましたが、事故を起こしたことは忘れ、車がないことに納得できないBさんを見て、妻は地域包括支援センターに相談に行きました。そして、一時的にグループホームに入所してもらうことにしました。妻もグループホームに泊まったり、面会や外泊をしたりしながら生活に慣れてもらいつつ、車と物理的な距離をとることにしたのです。運転したいと言うこともありましたが、外出時には助手席に乗ることが習慣となり、3カ月ほどして自宅に戻りました。

車へのこだわりが強く、運転をやめられないCさん(60歳)

Cさんは58歳で若年性認知症(ピック病)と診断され、徐々に運転をやめていきましょうと専門医に告げられました。退職前でもあり、事故でも起こせば、これまでCさんが築き上げてきた社会的な信頼を失ってしまうと考えた家族は、すぐにでも運転を中止すべきと考え、その方法をインターネットで調べました。車の鍵を隠す、バッテリーを外す、悲惨な事故の話を聞かせるなど、いろいろあるようでしたが、どれも決め手にはならないように思われました。職場に事情を話し、運転の必要のない部署に異動させてもらえることになりましたが、車通勤をしていたため、「退職後の体力作りのため」と徒歩通勤を勧め、自転車のプレゼントもしました。しかし、車で行くと言い張って制止を振り切る日もあり、家族も上司も途方にくれていました。

ある日、Cさんが職場で最も信頼している上司から「車をやめて歩くことはいい心がけだ」と言われたのをきっかけに、車をおいて歩いて帰宅することがありました。それ以降、上司が毎朝「歩いて出勤したらよいのではないか」と電話することにしました。また、職場のみんなで、毎日どれくらい歩いているかをお互いに競うことにしようという約束もしてくれました。

ウォーキングの様子上司には従っていたCさんでしたが、もともと車好きで運転にも自信があったため、自分に運転させない家族に対してイライラが募り、不機嫌になって声を荒げたり、物にあたったりすることがしばしばありました。そのようなとき、専門医は家族の葛藤や悩みを聞き、対応は間違っていないこと、自分も運転中止に協力することを伝えました。

家族は、Cさんの退職後の生活に向けて、医師とケアマネジャーの助言を得て、複数のデイケアやデイサービスの見学を始めました。まだ若いCさんが高齢者の中になじめるかどうか不安もありましたが、身体的には元気で、もともと世話好きなこともあったため、配膳の手伝いや高齢者の介助など、職員のような役割を担ってもらったらどうでしょうかと提案してくれた施設を候補として選びました。馴染みの関係をつくった後、そのデイサービスに毎日通うことで、物理的に車と距離をとってもらうことにしています。

平成21~23年度科学研究費補助金基盤研究C
「認知機能の低下した高齢ドライバーと家族の支援プログラムの開発」研究結果

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